数珠(じゅず)は、お葬式や法事での必需品ですから、ご自身の数珠をお持ちの方も多いと思います。

そんな数珠ですが、使用しているときに、何かの拍子に切れてしまうことがあります。

 

突然の出来事に、

「え!?うそ!?」と、ショックは大きいです。

 

不吉なことが起こるんじゃないかと、

身内に不幸が起きたりしていないかと電話で確認をしたいくらい心配になります。

はたして数珠が切れると、縁起が悪いのでしょうか?

 

縁起が悪い?

数珠が切れるなんて、滅多に起こることではありません。

不吉な予感がしてきます。

 

予想した通り、実際に身の周りに悪いできごとが起こることもあるでしょう。

不運や災難。ご不幸など。

 

「数珠が切れた」との因果関係ははっきりしませんが、

世の中、いつどこで何が起こるのかなど分かりません。

悪いできごとがないとは言い切れないのです。

 

故人からのメッセージ?

数珠は魔除けの意味があります。

邪気を払い、自分の身を守り、身代わりになってくれる大切な仏具です。

 

ですから、数珠が切れてしまうと、

 

霊の力が及び、数珠がその圧倒的な力から身を守ってくれた。

予期せぬ事態を暗示している。

故人からの何らかのメッセージ。

 

という面も考えることができます。

 

縁起がいい?

考え方によっては、縁起がいいともとれます。

滅多に切れることがないため、

願い事がかなう、とか、善いことが起こる兆しなどととらえることもできます。

そう思えば少し気持ちもうれしくなるでしょう。

あわてて宝くじを買いに走ったり、恋愛が成就するかもとワクワクしたり。

ないとも言い切れませんよね?

 

数珠は仏具

そのように色々と考えられるわけですが、

ここで、いったん、原点に立ち返りましょう。

 

数珠をなぜ持っていますか?

 

数珠は仏教の仏具ですね。

通常は仏教徒として数珠を所有しているわけです。

 

では、仏教徒として、この「数珠が切れる」という不測の事態を、

どのように消化させれば良いのでしょうか。

 

「形あるものいずれ壊れる」

一度は耳にしたことがあるかもしれません。

有名な和尚さんのお言葉です。

 

お釈迦さまの諸行無常という教えを意味しています。

 

この世のすべては変化していて、常なるものはありません。

モノは壊れて当たり前なのです。

 

数珠も一緒です。

使用していればひもが切れてしまうのは当然ですよね。

 

年に数回しか使わないのに!?

数珠を使う頻度はそれぞれだと思います。

ふだんはお仏壇の引き出しや小物入れなどにしまっていて、

お葬式や法事に出席するときだけ、収納からとりだして持ち出す、というのが一般的な使い方でしょうか。

 

そうした場合、多くても年に数回です。

 

利用回数が少ないのに、ひもが切れてしまうと余計に心配になってしまうわけですが、

 

ご安心ください。

 

珠で隠れているので見えませんが、

数珠をつないでいる紐そのものが、

経年劣化でいつの間にかもろくなってしまっていたのです。

 

いつちぎれてもおかしくない状態で家から持ち出せば、

法事で自分が焼香をした時などに、

少しの力が加わっただけでプツッをひもが切れてしまい、バラバラバラっと珠が散らばり落ちることになるわけです。

 

なぜ数珠を持参する?

数珠は108を基準とする数の珠をひもで通し、輪になっています。

108は煩悩の数ですね。

 

煩悩とは、悩みや迷いなど、人間の苦しみのこと。

煩悩を払い、欲を和らげるために、珠をひもでくくっています。

 

葬式、法事などに出席するときは数珠を持参します。

 

これは仏になられた故人と向き合う時に、

まさか煩悩まみれの姿で顔を合わせるわけにはいかないでしょう。

 

葬儀や法事はおごそかな場です。

少しでも清らかな心で対面するのが、良識ある仏教徒としてのふるまいといえるのではないでしょうか。

 

ですから、数珠を持参し、手にかけて焼香をしたりするのです。

 

欲しくならない

そんな数珠。

不思議なもので、持っていると実際に悪いことができないのです。

 

人が生活をしていると、様々な誘惑がありますね。

自分にとって有益と思われる情報を見たり聞いたりすると、

本能の欲が芽生え、制御不能な状態に陥ります。

 

「あれがほしい。」

「これもほしい!」

 

「もっとほしい!!」

 

経験はありませんか?

 

ところが数珠を持つ、あるいはカバンに忍ばせるなど、手元に置いておくと、

まるで西遊記で悪さができない孫悟空のように、

自分の悪い心や欲を抑制させることができるのです。

 

数珠にはそうした煩悩や邪気を寄せ付けない力があるのです。

 

欲はよくない

お坊さんが坐禅を組んだり、滝に打たれたりして修行をするのも、

基本的には欲を抑えて、心を真っ白に保つために行います。

 

お坊さんは正しい教えをそのまま継いで、

仏法を色を付けずに説いていかないといけません。

 

もし自分の心が欲で侵されていれば、必ず教えが自分色で染まってしまうのです。

 

そうならないために、普段から修行に励まれているのです。

 

煩悩に気付く

ここで気を付けたいのが、

 

「数珠が切れた!縁起が悪い!」

「超不吉な予感がする!!」

「良いことが起こるかも!?」

 

などという感情は、

 

実は、煩悩の一つに当てはまってしまうということです。

 

もちろん予期せぬことが起きたので、

これは大変!と思われるのは仕方がないと思います。

 

周囲から、

「何かの前兆じゃない?」

などと言われることもあるでしょう。

 

でも、落ち着きましょう。

 

そんな時こそ、仏さまの教えを思い出して、

 

「あ、そうか、形あるものいずれこわれるんだ」

「数珠も同じだよね、紐なんだもん、切れて当然か」

 

と、冷静に考えることができると、

仏教徒として、最高に格好いい捉え方だと思います。

 

おわりに

仏さまの教えは風邪薬と一緒です。

 

困ったときに処方することで、悩み事が解決したり、

乗り越えるヒントになったりします。

 

この世は変化を続けます。

よって形あるものはいずれ壊れるのです。

 

壊れたら治せばいいのです。仏具店や念珠屋さんにご相談ください。

数千円程度でひもをかけ替えてくださると思います。

 

散乱した珠をなくさないように集めておきましょう。

袋などに入れておくといいですよ。

 

修理をして、大切に、末永く使っていきましょう。

 

長く愛用すればするほど、ありがたみも増してくると思いますよ。