ご夫婦で後を追うように亡くなられることがあります。

ご家族としては信じられない気持ちでいっぱいでしょう。

 

夫婦仲が良いと後を追う?

長年連れ添ってきた連れ合いを失う。

深い悲しみにおそわれます。

特に、連れ合いさんのために介護や看病で一生懸命尽くされたなら、

看取ることで気持ちが切れてしまい気力を失われてしまいます。

 

そうした環境の変化から、ちょっとしたことで体調を崩され、思うように体調が回復せず、

後を追うように旅立たれてしまうというケースがあります。

 

そのため夫婦の仲がいいと命日が近いなどともいわれます。

 

葬儀後に疲れが出る

葬儀はあわただしいので気が張っています。

悲しみを感じる間もないのでかえって良いともいえるのですが、

その反動で葬儀後に疲れが出てしまいやすいです。

 

風邪をひいてしまったり、

病は気からと言われるように、病気が急に表面化してしまったり。

後を追うように逝かれてしまう理由の一つでしょう。

 

故人がお迎えに来る?

向こうで一人で寂しくて、故人がお迎えに来られるともいわれます。

 

仏教の教えに説かれているわけではないので、真偽のほどは定かではありません。

 

お盆やお彼岸は仏教の年中行事ですが、

不思議なものでこの時期、葬儀は増える傾向にあります。

 

先に逝かれた故人がお迎えに来られるのでしょうか?

 

生死の狭間にいるときに、向こう岸に連れ合いさんの姿が見えれば、

ついつい足をすすめてしまうかもしれません。

 

一人で行くよりはご一緒の方が安心ではあります。

でも、もう二度と戻って来られなくなってしまいます。

 

両親を看取る

両親が立て続けに亡くなられてしまう理由はそれぞれでしょう。

夫婦仲の良し悪しが命日に関係しているとも限りません。

 

法事は命日が基準となるので、

命日が近いと夫婦そろって一周忌や三回忌といった法要を行うことができる場合もあります。

これも家族が大変な思いをしないための、両親なりの心遣いなのでしょうか。

 

しかし、子としては簡単に心の整理はできません。

寂しさからもう一度子供のころに戻ってあの時のように暮らしてみたいな、

と思われることもあるかもしれません。

 

故郷へ分骨

子供のころの夢を見たり、

幼少期を思い出してため息をついたり。

 

子供のころに育ったふるさとへの思いも、年々強くなる一方だったりします。

 

高齢になると、故郷に帰りたい、が口癖になる方は多いですね。

 

そんな親の思いをくみ取って、亡き後の遺骨を故郷の地へ分骨をしてあげる、

そんな孝行をしてあげる子供さんもおられます。

 

生まれ育った町の近くにあるお寺や霊園などに、遺骨を少し埋葬して差し上げるのです。

 

インターネットで情報を集めて、電話などで聞いて回る。

骨の折れる作業ですし、もちろん家族の了解も必要なので勝手なことはできないわけですが。

 

たとえば、本家のお墓に入れてもいいよと、快くOKしてもらえればことは上手く運ぶでしょう。

 

そうでない場合は、

 

その土地にあるお寺や霊園に聞いてみるしかありません。

分骨した遺骨を埋葬できないかと。

永代供養とか合祀なら何とかなることもあります。

 

お墓を買うとなれば、ちょっと大ごとになるので簡単にはできないかもしれません。

 

ゆかりの地を巡る

他には、位牌や遺骨をもってゆかりの地を巡ってあげる。

家族旅行ですね。

両親の思い出の詰まった場所めぐり。

 

両親に少しでも喜んでもらいたいから。

そんな思いで出かける旅も、またいいのかもしれません。

 

ふるさと巡りなら、報告を兼ねて、

いつも年賀状でしかやり取りをしていないような親戚と顔を合わせる機会になるかもしれません。

 

 

先祖の墓へ参る

実家や本家筋の墓所へのお参りもおすすめです。

 

人は来たる年齢に到達すると、先祖のお墓参りの機会がおとずれます。

 

生まれた場所で一生を暮らせることは少ないですから。

父方、母方であれ、

初めてわが身のルーツである先祖の墓に手を合わせる。

 

命のつながりを感じられるはずです。

何とも言えない安らぎで心が満たされるでしょう。

 

その場で突然涙される人もあります。

 

両親を看取ることで、

そのような仏縁に恵まれる機会がふいにおとずれることがあります。

 

供養の形はそれぞれです。

そんな供養を通して人の心は深く成長していくのかなと思います。