人間は生まれてくると必ず最期を迎えますが、
大切な人を亡くす悲しみは計り知れないと思います。
まだ心の整理がついていない中での葬儀です。
実感がない、信じられないというお気持ちの中で聞かれるお経は、寂しくはかない音として心に響くものかもしれません。
魂を導く
お通夜やお葬式では、故人の魂は浮遊され、
式場の天井付近から悲しまれるご家族や親しい方などをご覧になっておられると言われます。
その魂に対して安らかな場所へとお導きするのが葬儀のお勤めです。
そのため祭壇に向かい真ん中でお経を上げる僧侶のことを導師(どうし)とおよびします。
懺悔
導師は故人にたいして、まず、これまでの人生を振り返り、ご自分の行いをかえりみられるようおさとしをします。
人様に迷惑を掛けたことはありませんでしたか?
縁者を傷付けるような言葉は使いませんでしたか?
悪い行いはしませんでしたか?
など。
もちろん全く当てはまらない人などいないと思います。
歳をとるにつれて後悔の念は増えていく一方だったりもします。
そのような罪悪の念があれば、仏さまの御前にお出しなさい。
全て包み隠さずに吐き出して心をすっきりさせましょう、と促すのです。
そうすることでも亡き方のお心が清浄なものへと変化します。
仏法僧に帰依する
次に、仏となるための心がまえをお説きします。
仏法僧の三宝に帰依すること、
戒律を守り抜くこと、
そして慈しみの心を持つこと。
これらは仏様になられるために最低限必要な性質です。
それでも前を向けないお気持ちが残り続けるかもしれません。
その故人の背中を後押しするのがご縁のある方の祈りです。
ご参列の方の心が清ければ、まごころのお祈りであればそれは故人の魂に届きます。
悲しみではなく感謝
大切なのは、悲しむのではなく、
感謝をすることです。
ありがとうのお気持ちが故人様にとって何より嬉しいに違いありません。
その祈りの姿と思いをお受けになり、徐々に成仏の道へ足を踏み出されることになります。
49日間はすぐそばに
それはすぐにというわけではなく、
ご修行の期間として用意されているのが没後49日間、中陰とよばれる期間です。
そして四十九日忌のご法事を機に成仏されることになります。
ですので仏教では亡き後の49日間を特に大切にしているのです。
故人の分まで生きる
お亡くなりになられることを息を引き取るといいますが、
それはご家族様やご親戚様、弔問に訪れられた親しい方々が、故人の息を、命を引き取る。遺志を引き継いでいくということです。
遺された方は故人が生きたくても生きられなかった未来を生きていくことになります。
故人様の分まで、その遺志や思いを受けついで生きていく。
生前に頂いたご恩に感謝をして、
今後はしっかりとそれを生かしながら、色々なことにご自分で挑戦して、経験をしていく。
そこが大切になると思います。
自分が幸せになったらいけないんじゃないか、笑ったり楽しんだりしたら故人に悪いんじゃないかと思われる方もおられるかもしれませんが、そうではなくて、
ご自分が様々にチャレンジしていく。
やるべきことを行い、前向きにさらにたくさんのことに挑戦して、ご自分の世界を広げていくのです。
それは故人の分まで生きることにつながります。
その行い、行(ぎょう)をお供えしていく。
これが亡き方へのご供養の本質だと思います。
善行を供える
起こってしまった現実を変えることは出来ません。
月日とともに、少し冷静になって周りが見渡せるようになったとき、
ご自分の行い、
そして生きるとか死ぬという命の尊さや儚さを改めて見つめ直し、
善悪であれば、善を、なるべくよい行いを心がけていく。
仏前へお参りの際は、そんなご自身で積まれた行い、つまり善行の功徳をお手向けされるとよいのだと思います。
こんなことできたよ。
あんなことしてみたよ。
へぇーすごいね!成長したね!
やるじゃない!!
亡き人とそんな関係ができあがっていくと、
それが故人様の分まで生きた証となっていくのではないでしょうか。
その確認をする第一歩となるのがお葬式だと思います。
心にぽっかりと穴が空いた中で、すぐに埋められるはずもありませんが、
お葬式や御火葬など一連のお別れの儀式を通して、
少しずつ心が現実を受け入れていかれるとよいのだと思います。